天人元気届隊 blog



天人元気届隊 〜救助支援から始まる命の相互支援のネットワーク〜←HPに戻る

天然芸術「EART」をコンセプトにするアート集団「天人(AManTo)」(大阪中崎町を拠点)が、美しい生き方を作る事が最大の芸術だと考える。〜災害救助復興支援から恒久相互支援のネットワークを〜をコンセプトに美しい生き方に命をかける!
スポンサーサイト
0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    | - | | - | - |
    東北ボランティアの声紹介
    0

      天人元気届隊やすです。
      東北ボランティアの声をもうひとつ紹介します。
      大島が目の前に見える気仙沼の唐桑半島へ視察へ行ったときに、
      大変お世話になった映画監督の花堂純次さん。
      宮崎のボランティア団の団長として、瓦礫などのボランティアだけでなく、特性キャンドルナイトでの祭りを企画したり、地元方々の心にまで目を向けきめ細かな活動を行っていました。


      「ボランティアって何だ?」

      昨夜は水産さんの御宅に挨拶に。つい最近ご尊父が亡くなられたからである。気仙沼に入ってみやみや団が最初のボランティアとして関わった人たちだった。ここで多くのボランティアグループと一緒に仕事をした。家屋から土砂を洗い出し、廃屋の整理をし、竹林や荒れ果てた神社の清掃と草刈に汗を流した場所だ。

      しかしおじいちゃんとは二言三言話しただけである。いかにも頑丈そうな海の男であり、今の代表の父親というのも合点がいく風の人であった。

      「おじいちゃんがここの花火大会始めたんだよー、週に何度も家に集まるのさー。そのたんびに賄いつくってお酒用意して大変だったのさー」


      ご夫婦二人とは、もう何度食事を一緒にしただろう。挨拶だけのつもりだったが、ここは「おもてなし」文化の地、いつしか掘りごたつのテーブルに座り込んでいた。お二人ともよく笑う。とくに奥さんのくったくのない明るさと笑い声には感嘆させられっぱなしだった。


      いつしか話は被災当時から避難所生活のこと、ボランティアとの出会い、そして現在と未来への不安や期待と流れていった。行きつ戻りつしながら、心の底からの話があふれ出た。

      一番苦しかったのは・・・見知った人たちの心の闇、醜さを見せられた時だったと。物の奪い合い、盗難事件、嘘・・・生き抜くために他人を蹴落としてでもしがみつく。「我良し」という言葉が浮かぶ。自分さえ良ければかまわない。

      避難所は本当に辛かったと。人を信用することが出来なくなったこと。心を許せなくなったこと。

      ・・・地獄。

      一昨日の夜、猟師さんと語ったときも同じ話になった。

      「人間、真っ直ぐに生きろといっても100%は無理、鉈の曲がり程度まではいい。それが草刈りの鎌みてえに曲がっちまったらおしまいだ。そんな八らを嫌というほど見せられた。いつもそのことが頭からはなれねぇ。何が苦しいってそれが一番だ」


      「そんなときに、ボランティアの人たちに出あわさせてもらったんだよねー。ありがたかったー。何百人もの人たちに支えてもらったんだよね。自分一人じゃ、笑顔になんかなれなかったよ。みんなから元気もらえたから・・・。もし自分たちだけだったら、下向いて、ずっとグレーのままで色の無い世界にいたんだよ」


      ゆっくりと奥さんが語った。

      小さな子供が集めるような赤や黄色や緑のオモチャが大好きになったと。


      「春にね、花が咲くでしょう?あー、こんなに綺麗な色があるんだって。初めて気がついたのさ」

      ご主人がぽつりと呟いた。



      「人を信用していいんだってな」


      「だから、ボランティアの人たちには感謝しかないんだよ」



      ありがたいよね、本当にありがたいよねと、二人は何度もその言葉を言い続けていた。


      被災がもたらしたもの、それは建物や町の崩壊という眼にみえるものだけではない。見えているものは直せばいい。何年かかろうと違う町になろうとそれは可能だろう。緑が荒地を覆いつくすように、いつしか瓦礫も消えていくだろう。


      けれど、人の心に残した無残な傷跡は消えることがあるだろうか。多くを語るすべを持たない子供らの心にも同じ景色が見えていたはずだ。そして代を重ねても、負の遺産は残ってゆく。


      人が関わるということ、よそ者であるボランティアがここに来た意味とは。


      「喜怒哀楽がなくなると、人間じゃなくなるよ」


      奥さんのそんな一言が私の中に深く残った。

      | 東北ボランティアの声 | 08:40 | comments(0) | trackbacks(0) |
      東北ボランティアの声紹介
      0

        天人元気届隊やすです。
        東北ボランティアの声を紹介します。
        鍼灸師の吉澤拓馬くん。
        同じ鍼灸師の山本浩士さんを紹介後やっとタイミングが合い行けたようです。

        「これから」

        平成23年8月13日〜16日 活動報告 お盆休みの期間に、宮城へ行ってきた。
        以下、報告。

        8月13日(土) 東日本大震災が起こってから、五ケ月。
        鍼灸師の山本浩士さんに声をかけてみた。

        「お盆休みに、どうしても行きたい」そう言うと、「俺も行くわ」と応えてくれて、一時間もしない間にメンバーが揃い、日程が決まった。

        明石、尼崎、西宮、大阪からメンバーが集まり、合計5人のチームで行くことになった。
        「むこう行って、鍼したいか?」開口一番、出発地で山本さんにこう聞かれた。
        「え、、、ま、、そりゃ、、できるなら、、させ、させてもらいたいです。」
        鍼灸治療に行くものとの思いで来ていたので、どういう意味か分からなかった。
         
        つまりは、こういうことだった。
        被災地の方は、現実に不眠や痛みに苦しんでいる。
        鍼灸治療をすることで、その日が眠れたり、痛みを和らげることはできるだろう。
        しかし、「根本」の悩み、苦しみを取り除くことはできない。
        「根本」とは、仕事がないこと、家がないこと、家族を失ったことなど現実的な問題だ。
        「それでもお前は鍼(だけ)がしたいか?」そういう問いだった。

        「きっついなぁ・・」そう思った。
        「ええかっこしたい」「治療をしたい」そういった「欲」が、自分にはどこかあったはずだ。
        そうか、助けになるのならば、鍼でなくてもいい。これは手段の一つでしかない。

        その時に必要なのは、瓦礫の撤去かもしれない。
        大切なことを、最初に教えてもらった。
        それでも、させてもらいたい。
        治療家のはしくれとして。
        「指先1本でも楽になってもらうこと」この思いで。

        車に5人乗り込み、21時過ぎに梅田を出発。
        夜中の高速道路を順調に走り、約10時間。
        翌7時過ぎには宮城県塩竃市に入った。
        8月14日(月) 初めて目の当たりにする被災地。
        市内の道はとてもきれいに清掃されている。
        しかし、道路脇の住宅、店は津波の傷跡を残している。
        未だ消えたままの、信号機。亀裂の走った路面。
        長々と積まれた土嚢。車の窓を開けると、ヘドロの匂いが鼻をつく。
        一見すると、落ち着いてみえる街中だが、そこかしこに傷跡がある。
        震災から、ちょうど5ヶ月。
        多くの人手によって、片付けられた道路や家屋。復興の跡と、手付かずの被害が混在している。
        塩竃市から国道45号線を通って、東の沿岸部を進み、東松島市に入る。
        へしゃげた道路標識、全壊した駅、亀裂が走り隆起した路面。このあたりから、津波の被害が増してくる。 石巻市に入った。

        その被害は甚大だった。

        道の脇にはおびただしい量の瓦礫、破壊された車がミニカーのように積まれている。魚の腐敗臭のような耐えがたい匂いがする。そんな中、警官の方がマスクをつけ、炎天下の中、交通整理をされていた。
        車を降りて、石巻の海岸部へ歩く。荒涼とした風景。陸に船が転覆している。
        海岸部の工場は壊滅的な被害だった。1階の壁が全壊した工場の中を覗くと、デッキブラシと洗剤が置いてあり、きれいに磨かれた跡があった。とても再開は困難、と思われる状態だった。
        ここで何があったのか。
        目の前の景色と、地震の直後にニュースで流れた津波の映像を重ねてみる。
        重ねてみるのだけど、どうしても想像がつかなかった。

        感傷や同情でもない、熱のない涙が流れ続けた。

        この景色を見て、悲しいのか辛いのかなんなのか分からない、ただ圧倒された。
        石巻市内にある食堂に立ち寄る。震災直後の凄絶な話を聞かせて頂く。
        靴箱をイカダにして探しに行った人がいたこと、死体収容のため3日間働き続けた消防士の話。
        ポテトチップが2枚、豆腐20分の1カットという食糧支給があったこと。

        「がんばれって言ってもね。5ヶ月でみんな疲れきってるよ。道歩いてたら、夢遊病みたいに歩いてる人いるよ。」
        ついさっきまで見ていた光景、いま目の前にあるご馳走、凄絶なお話を聞きながら、そのギャップに頭がついていかなかった。 矢本にある仮設住宅に向かう。公団住宅を利用されている5人家族のお宅に伺い、ご主人からいろいろとお話を聞く。
        この家族が住んでいた地区は壊滅的な被害があった場所だった。
        「近所の人、みんな死んじゃったからね。」
        幸いにも、車と家族が無事だったのだが、避難所にいても後ろめたい思いでいっぱいだったという。
        「モノはぜーんぶ流されちゃったけどね。思い出は残ってるんですよ。」
        つとめて明るく振る舞いながら、たくさんの話をして下さった。

        「がんばって下さいね」帰り際に、何度もそう励まされた。
        「逆や・・・」少しでも役に立てたらなどという思いも空しく、ただやるせなかった。
        松島町の品井沼にある避難所へ。
        お盆のせいもあってか、中にいる人は少なかった。
        卓球台がテーブル代わりになっていて、そこでお話を聞く。
        この避難所は数日後に閉鎖される予定だという。
        宮城県内の避難所は8月中には閉鎖され、仮設住宅に住宅に移る。
        「天井高いでしょう。最高よ。」体育館のようなところが避難所になっている。

        この日の気温は33℃近くあり、大型の扇風機が回っている。
        薄いスポンジが敷いてあり、ここで寝起きするようになっている。
        現地についてから、初めての治療。
        メンバーが、鍼道具を持ってきて治療を始める。
        それぞれに、話を聞きながら鍼を打つ。
        ニュースで取材されている話を聞く時、現地の方言をあまり気にしなかった。
        実際には、高齢の方は特に方言が強く、慣れてくるまで半分ほどしか聞き取れないこともあった。

        相対して、言葉を発するのが怖かった。
        どんな言葉をかけたらいいのか分からなかった。
        「大変でしたね」そう発するのがやっとだった。ただ耳を傾けて、聞く。
        たくさんの話を聞いた。
        ここでも向こうの方に「がんばってねー!!」と、逆に励ましを頂く。
        「何やっとんのや、自分は」凹んでも仕方がない、いま自分にできる限りのことをするしかない。
        避難所を後にして、松島へ帰った。
        この日、松島ではお祭りが行われていた。
        露店が立ち並び、子供たちによる太鼓の演奏があった。 
        ホテルへ帰る。

        ほぼ不眠で活動していたので、皆すぐ休みにかかる。
        宿に帰るまで、メンバーの誰も「しんどい」と言わなかったのが、誇らしかった。
        清潔な布団に横になって、眠る間際、
        「一日でも避難所で寝てみって言うの。じゃないと分からんよぉ。」
        役人に対する憤りを男性が話した時の言葉が蘇った。
        8月15日(月) 午前、また品井沼の避難所へ向かう昨日より人は少ない。
        無人だと思っていたところに、高齢の女性が1人居らした。

        「どこか、おつらいところはないですか」そう聞くと、
        「あー、うんうん、わたしね、元気、元気。もう85になんの。大丈夫。」
        「ちょっとさせてもらえませんか」
        「善意の押し売り」そんな言葉が頭に浮かびながらも、そうせずにいられなかった。
        肩に手を当てると、硬く張っていた。
        その方はとても遠慮深く、治療を始めてすぐに「あー、楽になった。ありがとね、ありがとね。」と「もういいよ」という合図を出してくる。
        早くに亡くなったご主人のこと、避難所での生活、お話を聞きながら、しつこくも治療を続ける。
        ぱっと横顔を見ると、涙が見えた。
        いろんなことが、いろんな思いがあったのだろう。
        治療が終わると、「ちょっと待っててね」と言って、パンを一つ持ってきて下さった。
        「東北の人に物をもらったら、断ったらあかん」そう聞いた言葉を思い出し、ありがたく頂いた。

        それから、いくつかの仮設住宅をまわった。
        広大な敷地にプレハブの住宅が、団地のように並んでいる。
        家族の場合、4畳半ほどの2部屋とキッチンの間取り。
        洗濯機、冷蔵庫、テレビ、炊飯器、電気ポット、電子レンジの6つは用意されている。
        エアコンは1台ついているが、プレハブの住宅は「夏は鉄板のよう、冬は寒い」と聞いた。

        ある仮設住宅を訪れた時、子供たちが家の前で遊んでいた。
        子供と遊ぼうとシャボン玉を持ってきていたので、「これはチャンス!」と駆け寄る。
        幼稚園くらいの男の子3人は、とても元気いっぱいで、きゃあきゃあ叫びながらじゃれてくる。
        元気な姿に、勇気づけられる。
        子供たちは「こっち、こっちー」と虫カゴを見せながら、家のほうに引っ張っていく。
        ちょうどその時、1台の車が横手の駐車場に停まった。
        「何か、マズい・・」そんな予感がした。
        考えるよりも先に、車の方へ走っていた。
        「すみません、京都から来まして、鍼灸のボランティアでまわらせてもらってるんです。」
        聞かれてもないが、言い訳をした。
        「あんたら、ボランティアかなんか知らんが、ここ人の家と違うか。」
        被災地へ来て、初めて向けられた怒りの目。
        当然のことだった。ここは人の住宅であり、うろうろしていれば不審者でしかない。
        無意識に「お客さん気分」になって浮かれていた、自分が恥ずかしかった。
        ただただ謝って、そこを後にした。 続いて、別の仮設住宅へ向かう。夫婦二人で暮らされてるお宅へ。
        部屋に入れてもらうと目の前に仏壇があり、赤ちゃんの遺影が飾られていた。
        津波によって、抱いていたお子さんを失ったという。
        「あまり言いたくないけど、話さないとこの子の存在がなくなっちゃうみたいだから」
        と言って、話をして下さった。
        いろんな方々にお話を聞かせてもらった。
        「流されちゃってねぇ」何度も聞いたこの言葉が、強烈に耳から離れない。
        多くの人の家が、大事な物が、大切な人が流された。
        行き場のない悲しみ、怒り、思いがあった。

        8月16日(火)松島から約13時間で梅田着。
        帰ってきてから、このレポートを書けずに一週間が経ってしまった。
        今回、自分たちにどれたけのことができたか、わからない。

        しかし、「これから」の大きなきっかけになった。きれいごとでは結べない。

        本当に「これから」。

        | 東北ボランティアの声 | 08:34 | comments(0) | trackbacks(0) |
        東北ボランティアの声紹介
        0
          天人元気届隊やすです。
          東北ボランティアの声を紹介します。
          第2回天人元気届隊バスツアーに参加して
          次の週にひとりでボランティアに行く事を決めたさっちゃん。
          現地で紹介した人にお世話になりながらもいい仕事をしてきたようです。


          こんにちは。
          15日の夜に出発して20日の夜に帰ってきました。さっちゃんです。
          遅くなりましたが今回の活動報告いたします。
          お盆休みにボランティア行きたいってやすさんに相談して気仙沼でずっと活動している監督と師匠を紹介していただきました。



          16日
          唐桑半島で「鮪立(しびたち)灯流会」のお手伝い。
          監督がいる宮崎のボランティア団体に参加。
          私は準備をちょっと手伝って後は他のお客さんと一緒に楽しませていただきました。
          小樽雪あかりの路のワックスボール(丸いろうそく)と防波堤の端から端まで置かれたとうろうで幻想的。



          今日のお宿はまるまる借りてるという一軒家。
          晩ご飯は待ってたら出てきて美味しくいただきました。もとフレンチのシェフが作ってくれました。
          シャワーは灯油切れで水!笑
          虫におびえながら12時過ぎ初寝袋で就寝。











          17日
          朝の4時半起床。5時半から港でマグロ漁に出る漁師さんをお見送り。
          「出船送り」。



          船の上で準備をしている猟師さん。男らしくてかっこよかった〜
          紙テープで船とお見送りをする側が繋がる。
          名前も何も知らない人ばっかりだけど暖かい気持ちになりました。
           
          家に戻って朝ご飯は待ってたら出てきた和定食。もちろん美味しくいただきました。
           
          その後エースポートまで送っていただき、宮崎チームの方たちとはさようなら。
          ほんの数時間お手伝いよりお世話になったことの方が多かったけど、いろんな方と出会えて楽しかったです。
           


          そしていざ大島へ。
           
          浦の浜で師匠と合流。
          そのまま田んぼで瓦礫作業のお手伝い。みみずだ〜って♪かえるだ〜って♪状態。
          背より高い草を草刈機で刈って、その中から瓦に服に発泡スチロールを取り出す作業。
          足場は水溜りやったり急に沼地になったり。
          ここで師匠はひざ上までびちょんこになるパワフルっ振り!!
          師匠についていくのが不安になりました。
          でも「誰かがやらな、だらだらやってたらおわらへん。」って聞いて納得。
          まるで2回目のたたみ屋さんたちみたいでした。
           
          そんな作業の休憩中。もしかして…
          「あっちゃん?」
          もぅいてないと思ってたからめっちゃテンション上がりましたよ!!笑
          ブログで見てたから有名人に会った感じ。
           
          【あっちゃん。】
          顔覚えてもらってて嬉しかったです〜
          野生のプチトマトも美味しかったですね〜

          今日からのお宿は気仙沼休暇村キャンプ場。テントに寝袋。
          シャワー室・トイレはかなりきれいで快適。
          自然に囲まれての生活がすーっごく楽しい!!毎日(野)外食!!
          ボランティア以外でも教えてもらうことがいっぱいでした。

           
          18日・19日
          気仙沼市内の病院に行く方の送迎をお手伝い。
          もともと自分のおじいちゃん・おばあちゃんの介護経験もあったから一緒に病院に行くこと、その間お喋りしたりはただ楽しいの一言。
          「ボランティアってこんなんで良いの?」って思いました。
           
          病院で足にシップを貼って歩くのも大変そうなお母さん。気になって話を聞くと…
          「家の泥かきを早く終わらせたくて自分でやってたら怪我しちゃったのよ〜。娘に怒られちゃったわ〜。笑」
          他にも、
          「震災前に港で働いてるときは重い荷物持ってもどうもなかったのにね〜、震災後家の片づけをしてて腰を痛めたの。」というおばあちゃん。
           
          きっとみんなもっとどうにかしたいのに出来ない。
          自分の家のことだから早く早くって思う。
           
          なにも言えないけど怪我はして欲しくない。



          19日活動を終えて師匠とピクニックをした帰り。
          14時30分ごろ。震度5弱。
          外にいてても長い時間揺れていたのがわかりました。
          すぐに近くのお店に入ってラヂオで初めて「津波注意報」を聞いて、津波がくるかもって考えると怖かった。
          3・11の時、すぐに高台に登ることができたのは普段から繰り返し行われていた避難訓練があったからだと思いました。
           
          南海地震が起きたら…
          どうしても結びつけて考えてしまいます。
           
          最終日は師匠のお心使いで椿荘さんに泊まりました〜
          若旦那さんとも少しお話できて嬉しかったです。


          今回4日間気仙沼・大島でボランティアに参加して。
          ボランティアをしている側、ボランティアを受けている側(?)両方の方から少しずつお話を聞くことができました。
          良いと思ってやってることが「やってあげる」って押し付けにならないように気をつけよう。
          少しずつ落ち着いてきたら自分たちのペースで生活したいんじゃないかな。
          観光地でもボランティアにやって欲しいことがあっても、多くの人が地元に出入りすること。
          自分やったらどう思うんかな。
          まだまだ手伝えることはあるやろうし、また行きたいけどそうゆう部分のバランスが大切な気がしました。
           
          伝えたいことはあるけどめっちゃ下手やから、まだ過去にしないためにも少しでも多くの人が東北に行って自分で感じてもらえたらなと思います。
          風評被害で困っているところもあるし、東北でお金を使うことも支援になるから今度は旅行とかも良いな〜。
          | 東北ボランティアの声 | 18:38 | comments(0) | trackbacks(0) |
          それはとてもシンプルなこと@みやした
          0

            私は、天人元気届隊ミッション4バスツアー一回目に参加させていただきました。

            ちょうど3ヶ月を過ぎた100日目のことです。
            まだまだ爪後が大きく残る大島でした。
            ただただ1日半ほど、体を動かしてほんの形をしただけに過ぎません。
            まだまだたくさんやり残してきたことがあったから‥。
            それでも島の皆さんはとても喜んで下さり、大事なものを持ち帰ったそんな経験でした。
            少しfixした自分と仲間と‥。



            3/11以降、震災の情報をmixiで積極的に集めるようになり、
            何かしていないとそわそわしていて、物資をおくったり、募金をしたり、
            でもやっぱり現地に入りたくて。
            漸く見つけたのが天人元気届隊の初回バスツアーでした。

            私の場合は迷うことなく即応募だったけど、参加団体に不安を持つ方もいらっしゃるようですね。当たり前か‥。
            NPOとか、公民のとか社協?だっけかな、大きな団体がいくつもあって、
            その中で"天人元気届隊''は、隙間をつく、その名の通り元気で心意気があるところ‥
            という風かしら。

            今は体当たりをおそれない強さを感じます。



            そしてJunさんの目指しているところは奥が深い。

            進興‥。帰ってから、良く参加者と集まります。

            皆、職業や年齢もさまざま、多種多様な人達。
            西にいて、何かできることはないか、バスツアーが継続できるように、
            隊をフォローしたいという気持ちを寄せている。
            きっと皆、行って良かったっていう感動が強かったからじゃないのかな‥。
            私は、帰りの港でやすさんが「ありがとー、また来るねー」と投げた言葉がどうも印象的で胸にひっかかっています。



            これから、進興するのには、まだまだ時間がかかるし、知恵もいる。
            小さな人の力や考えや想いが途切れず集まって、のちのちそれが一般的になればいい。
            できることをできる範囲で続けていけたらすばらしい。
            だから、色んな団体がある中で、たまたまタイミング良く出会った天人元気届隊には、
            本当に期待しています。私は体力も時間もお金もあったから作業に参加できたけど。
            それが叶わない場合もある。もっと多くの人に元気届隊を通じて、
            それぞれに合った形で、元気を受け渡しし、心身共に健康になって貰えたら嬉しいな‥と思います。





            けっして、誰かの為ではなく、ご自身の為に。

            これからも陰ながら応援し、天人元気届隊の道が長く続くことを願っています。


            で、その帰路、二つの課題を立てたんですけど。

            続けることと伝えること。

            行くか行かないか、前者は自分だけで完結します、でも後者は周りを巻き込む。
            これまでは、自分を中心に物事を考えるのが常だったし、自分と人とは価値観が違う。
            のに‥人のきっかけに関わることになるから。

            今、少し壁に向かっています。

            コミュニケーションをとることについて。
            人と関わることについて‥。

            誰しも、3/11から半月位ばかりは、テレビに映る光景に心を打たれたと思います。
            私もたくさん涙しました。同じ日本で起こっていることです。
            だからどうしても現地に入りたかったし、何か自分にできることをしたかった。
            お金と時間と想いと健康と、タイミングがあったから。
            それらがあれば誰にでもできることなのでわ。

            ‥現地を知らずに昔話ができるでしょうか‥?

            そして、また参加させて頂きます。
            知人や友人も参加してくれています。
            ラッキーなことに天人元気届隊は、頭と心と腹で動いている団体でした。
            そうですね、つまり人らしく本質的な‥と言うか、とても素直な集まりかと。



            ここまで読んで下さった皆様には感謝します。

            ボランティアは誰かの為ではなく、自分自身のためだと思います。

            だから、大事な人には行って貰いたいし、できるだけ、たくさんの人に関わって貰いたい。
            きっと何かの輪が大きく広がっていくと思うから。

            是非、元気届隊で元気を受け渡しして貰えたら幸いです。





            写真協力:村上盛文

            | 東北ボランティアの声 | 09:13 | comments(0) | trackbacks(0) |
            バスツアーレポート(はる)
            0
              先週末の17日(金)〜20日(月)、被災地宮城県気仙沼市の大島へ行ってきました。
              気仙沼市の大島は、バスで13時間そこから船で20分ほどの場所。

              今回、バンドメンバーのやっちょんが運営するボランティア団体「天人元気届隊」の23名の一員として、参加しました。

              現地について唖然とします。テレビでは見てたし、阪神大震災の経験があるので、心構えは出来ていましたが、そんな想定される規模ではなく、まるで大規模な爆撃のあとのようでした。

              大島の対策本部についてすぐに、瓦礫撤去のため海すぐそばの民家へ。丈夫なつくりの家だけど、1階部分は何もかも持っていかれて周辺は瓦礫や木屑、生活品などが散乱してました。

              その家主の親父さんは、最初、とても厳しい表情なので頑固親父のようでした。1日目の作業終了間際に、遠くに流された離れの家の屋根部分を坂の上に運ぶ作業。

              できるのかな?とおもったけど20人の力があれば、あっという間に持ち上げることができた。

              これには、家主の親父さんもびっくり。思わず「人の力ってすごいな・・・クレーンでもこうはいかんよ」

              と頑固そうだった家の親父がはじめて、にやりと笑った。

              その日の作業は終了し、夕食を食べて、僕たちのバンド「ザランチタイム」のライブショーさせていただくことに。大広間には、地元の人で住む場所がなく避難している人、民宿に泊まってるボランティア団体の人、民宿のスタッフなど50〜60人が集っていた。

              今回メンバー3人しかいないし(ギター&洗濯板&ダンボールのタイコ)、バカ騒ぎしても大丈夫かな?といろいろ不安もありながらもライブははじまった。

              でもでも、感動してくれる人がいたり、みんなで大笑いしたり、すごく盛り上がって、本当に心に残るいいライブになりました。

              ライブのあとは、民宿のご主人の村上さんより被災時の状況をお話頂きました。
              被災時の津波の怖さ、津波のあとの石油の貯蔵タンクの流出で、海一面が炎上していたこと。
              たまたま、島から離れて本土にいた村上さんは、海の火が島に移るのを見て、いてもたってもいられなく、また何もできない自分に本当につらい思いをされたようです。
              そんなときも、いろいろな人に支え助け合いながら乗り越えることができたと、このようなつらいお話を思い出しながらじっくりと語ってくれました。

              2日目は、昨日と同じ家で分別した瓦礫類を、トラックに積み込んで集積所に運び出す作業。


              親父さんも今日は終止笑顔だった。ここのお母さんも会ったときからずっと笑顔。
              本当はすごく大変だろうしつらい事もたくさんあるはずなのに、この島の人はみんな笑顔でもてなしてくれます。

              ちょうど、終了までには、家のそばにあった瓦礫は、あらかたきれいになくなった。

              親父さんとお母さんとお別れの時。二人はずっと笑顔で手を振ってくれた。
              僕達が遠くに止まってるバスに乗っても、バスが動き出して小さくなってみえなくなるまで、二人はずっと手を振ってくれました。

              今回行って本当によかったです。
              お手伝いできたことはほんのわずかなことですが、誰もがなんらかの形で支援できることがわかったこと。
              そして、人と人の間の根にある大切なもの、それが人を支えるんだって感じました。
              そして、それが誰ものこころにあるんだって思います。

              昨夜の村上さんのお話の中でこんなことをおっしゃっていました。村上さんが、島にもどってまもなく、宿にお世話になった方々がたくさんの支援物資をもって遠方からこられたそうです。

              その中のある人に村上さんは「 なんでそんな遠くから?」 と聞いたら、その方は、「 日本人だからきました」 と答えたそうです。

              まだまだ、支援は必要です。
              もし、自分も何かできないかなって思われてる方がいたら、ぜひ動いてみましょう。
              僕たちが参加した「天人元気届隊」では、定期的にボランティアバスツアーを企画するそうです。
              ホームページはこちらです。

              http://amanto.jp/index.php/groups/genkitodoke/

              観光だけでも被災地の支援になります。

              西春彦
              | 東北ボランティアの声 | 14:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
              バスツアーレポート(阿久根武志)
              0
                天人元気届隊の一行として、個人参加で宮城県気仙沼の大島へバスツアー二泊三日。
                大阪発のバス一行と渋谷で東京から三人が合流。JUNさんも同行。
                仕切りはヤスくん。

                ...東京組は渋谷発で合流。気仙沼まで26人乗りぐらいの観光バスで
                夜中の2時ごろ出て朝の9時半ごろ気仙沼着。フェリーで大島へ
                移動して、大島対策本部へ移動。島の中の移動のバスは
                宿泊先は旅館の椿荘。

                大島は気仙沼からフェリーで15分ほどの周囲22キロほどの島。
                東日本震災発生当初は、救急車一台来なかったという。

                現在の大島の震災後の状況は、いまだに傷跡が癒えず、津波にやられた
                ままの倒壊した家屋や旅館が多い。

                フェリーが陸地に津波の勢いで置き去りにされたままであった。しかも
                浮き桟橋つきで。

                公民館が大島対策本部で、つなプロや、RQの方や、
                プレジャーサポート協会など団体がサポート。
                ...
                受け入れ態勢ができていて、滞在期間一泊二日(島内)の間、
                どこで何の手伝いをするかが決まっていた。

                とある海沿いのお宅の庭のガレキを集めて分別する作業が初日で
                次の日はそれを軽トラやダンプに載せて撤去する作業を手伝った。

                津波で流された小屋の屋根を二十人ほどで移動したら、家主のおじさんは
                とても喜んでくれた。

                後でわかったことだが、この方が震災の直後、沖へ出して津波を乗り越え、
                おさまったあとに戻る際に、海へ投げ出された人を
                何人も救った英雄と報じられた菅原進さんという方だった。

                http://ow.ly/5lptj

                宿泊先の村上盛文さんの椿荘という旅館。ちなみにこの島には村上さんという苗字の人が多い。村上さんは震災当日、本島気仙沼にいて、数日大島に戻れず、両親の心配をした話や気仙沼の海がコンビナートの重油で火の海になり、島も火災で松林が焼けたりしたこと、尋常ではない人の亡骸をいくつもみた話など、つらい経験にもかかわらず、多くの人に知ってほしいと願いをこめて語り続けた。

                島の人たちはとても快活で、ボランティアに訪れた私たちをあたたかく出迎え、ケアしてくれた。震災直後はほとんど救援の人手が足らず、物資をヘリで下ろされて、避難所などに届けるのに大わらわだったそうだ。

                大島にはRQという支援団体、つなプロ、プレジャーサポート協会PSAなどが入っている。
                ...
                菅原さんは自宅の一階ががらんどうになるほど津波でやられているのに、われわれに
                飲み物やパンなどをふるまって労ってくれた。

                次回の実施日程は7月15〜18日の予定。(8月は26〜29日)
                参加者が集まれば東京発着もある予定。
                今回に即して言うと、東京発着は渋谷23日午前1時半ごろ発で、
                24日午前0時ごろ渋谷着。
                費用は約2万円。問い合わせは

                あまんと・天人元気届隊
                http://genkitodoke.jugem.jp/
                ヤス(竹本泰広)
                06−6371-5840
                genki@amanto.jp


                私が編集した Youtube の URLを教えます。
                http://www.youtube.com/watch?v=IuuwwYVQJpY

                下記は私のfacebook から
                https://www.facebook.com/riematsuura#!/profile.php?id=100000514395035


                 
                | 東北ボランティアの声 | 07:07 | comments(0) | trackbacks(0) |
                PR
                CALENDAR
                S M T W T F S
                   1234
                567891011
                12131415161718
                19202122232425
                2627282930  
                << November 2017 >>
                SELECTED ENTRIES
                CATEGORIES
                ARCHIVES
                RECENT COMMENT
                RECENT TRACKBACK
                Genkitodoke twitter
                LINKS
                PROFILE
                モバイル
                qrcode